仕事

2007年12月20日 (木)

ふれあい

今日は回診が終わった人から、
談話室で折り紙をみんなで行うことにしました。

年配の方は、孫の面倒を見るように。
中年代の方は自分の子供の面倒を見るように。
それぞれが、楽しい時間を過ごせていたらいいと思います。

何かの縁で、こうして同じ釜の飯を食い、
1つの建物の屋根の下で、生活を共にしているのです。
限られた空間の中で、どれだけ有意義に過ごすか、
「楽しい入院生活だった」と振り返ってもらえたら、一番素敵だと思う。

今日は、昨日ズミさんに質問されたキャップのことを
折り紙遊びの締めくくりに話をしました。
この中に居る人とは絶対に限らないけど、
もし、この中にBoom!を聞いてくれている人がいたら素敵だと思って、
知らない誰かさんに、お礼を言いました。

さて、毎日楽しみの昼食ですが、
今日は検査があるので軽めに!と言うこと。

「昼食軽め」って、どんだけ~~~~!

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2007年12月19日 (水)

お仕事

患者だからと言って、
臨時職員として採用してもらっている以上、
早速お仕事です。
今朝は、談話室でみんなと一緒に食事を取りました。
ちなみに、ちゃんと白衣姿です。
まさか私を患者だとは思っていないでしょう。

「先生、朝なんだから、もっといい物食えばいいのに!
ここの飯じゃ、力が出ないよ!」とおじいちゃんからアドバイス!

「家で一人で食べることを考えたら、皆さんとの食事のほうが、
比べ物にならないくらい楽しいですよ!」と返すと、にっこり笑ってくれた。

午前中は各部屋に挨拶をしながら回った。
小さなスペースだけど、ベット周りを観察することで、
その方の生活習慣などが見えてくることがあるので、
私は呼び出してのカウンセはよほどのことが無い限りしないことにしている。

ここは、色んな科が混在しているので、重症の方もいるが、元気に退院していく人がほとんどだ。

今日は子供達とお絵かき大会!
子供の絵は、使う色や書いたものの内容で状況が分かることが多い。
ほとんどの子が、お父さんだったり、お母さんだったり、兄妹やペットのことを書く子ばかりだった。
とっても寂しいんだろうと思う。

明日は、折り紙をやろうと思う。

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小さな体に大きな心の傷

消灯を過ぎて、1時間後の22時。
看護師がバタバタして子供の泣き声が聞こえました。

私がナースコールで確認すると、
整形に入院中の幼稚園年長さんの女の子が、
怖い夢を見たようで泣いてしまい、相手をしているのだという。

私は白衣に着替えて、道具箱を持って病室へ急ぎました。

彼女から話を聞くと、自動車事故によって怪我をし、ここに入院をしているそうだ。
車に引かれたときのことが、相当怖かったらしいのだが、怖かったことを話すのも怖くて出来なかったようだ。
ズバリ思い出したくないのに、思い出してしまって、心のやり場が無いのだ。
子供とはいえ、嫌な思いでも吐き出させなくてはいけないこともある。
私は、彼女のベットに入り込む。肩を抱きとことん話しを聞いて、泣いてすっきりさせる。
その後にスタンバって入るのは「アルフレッド」。
白い犬の手人形。
このアルフレッドを使って3人で話しながら、絵本を読む。
ちなみにこういうときは、彼女の知らない話をする。
最後まで読み終わる前に泣きつかれて眠ってしまう子もいるが、
彼女の場合は、別のものに興味を引かせ、怖い記憶を一時的に消してしまう。そして2冊目に読むのは定番のお話。そのうち子供は、知っている話に飽きて睡魔にも叶わなくなって、深い眠りに着くので、途中で起きることがほとんど無い。

とっても素直でいい子だ。
きっと、とっても怖かったのだろう。
こんな小さな体で、車と戦ってしまったのだから。

今部屋に戻ってきて、書き込んでいます。
0時の見回りに来た看護師にお礼を言われ、立て続けに夜更かしを怒られちゃいました^^;

何か、もう治っちゃったみたい!
早く帰りたいな!(ルン)
自由がいいな!(ルンルン)

早くラジオ、始まらないかな!

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2007年11月25日 (日)

最後のお別れ

先ほど(11月24日)、一人の男の子が亡くなりました。
私が仕事を始めたときから入退院を繰り返していたH君。
とてもイタズラ好きで、ユーモアのセンスがある子でした。
私は彼に何度スカートめくりをされたことか(笑)
9歳の男の子にスカートめくりをされる30(歳)台のオバちゃん!

このH君は私が先日キャップを持って日本へ一時帰国したことを聞き、
お小遣いからペットボトルのジュースを買い、2日かけて飲み干した。
私が院に戻るとH君は私に「これあげる」とキャップを渡した。
そのときの彼の姿を、私は異常に覚えている。
とても自慢げに、でも恥ずかしそうに、そしてたくましくも見えたからだった。

彼は、その日を境に年下の子供達の面倒もよく見るようになった。
私が教える折り紙に、できない子がいるとすぐ気が付いて、一つ一つ丁寧に教えていった。
この1週間は院内もとても静かで不思議なほどでした。
今日はとても綺麗な満月の夜。
ここへ来て、こんなに穏やかな時間は記憶に少ない。

本勤務も終わり、少し横になろうと仮眠室へ。
夢の中で呼ばれたのか、現実で呼ばれたのか、良く分からないまま、
私は走り出していた。

走りながらだんだん目が覚めていき、たどり着いたのはICUだった。

医師団が囲んでいたベットにはH君が。
すでに意識は無かった。
お父さんが入室し、何度も声を掛け始めた。
「まるこ先生も来てるよ、目を覚ましなさい」と呼びかけることしばし。
彼は目を開けた。奇跡的に持ち直した。
ほとんどの子供は体力が無いせいか、意識がなくなるとそのまま・・・と言うケースがほとんどだった。
なので、私はH君にお別れを言うことができなくて、悔いが残っていた。
だから、持ち直してくれて本当に良かった。

H君はとても穏やかでした。
「まるこ先生。ぼくのキャップ、ズミさんにちゃんと届けてね。
世の中には一人で死んでいく子供がたくさんいるんだって。知ってる?!
ぼく勉強したんだよ。ぼく、ここへ来て友達がたくさんできた。だからぼくは一人じゃないんだ。幸せだね。怒られることばかりして、よくない子だったから病気になったと思ってた。パパはぼくのことでいつも隠れて泣いてたの知ってるんだ。ぼくは最後まで悪い子かな?
まるこ先生は日本の話をたくさんしてくれたね。ぼくの夢は日本に行って富士山を見ることだよ。次は必ず行くんだ。そして、たくさんの人を楽しくさせる仕事をしたい。ぼく人の役に立てた?良い子にしたら天国に行けるかな?ちょっとだけ先に行ってるから、また折り紙教えてね。面白い話もたくさん聞かせてね。」

これがH君と私の最後の会話となり、持ち直してからわずか2時間余りでお別れとなりました。

今夜は本当に綺麗な満月の夜。
彼は眠るようなとても穏やかな最期でした。
私は泣かないで、彼を見送った。

でも今の私は、ボロボロです。
それを分かっているのか、仮眠室には誰も来ない。

今週で私は日本に帰る。
H君がここでの私が見送る最後のお別れの人となるのであろう。

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2007年6月15日 (金)

その時が。

今日は雨。

暖かい雨の日。

夕方、少し早い夕食を取って久々に屋上へ。

雨だから、誰もいないだろうと思って上った。
ポケットからチョコレートを1つ、口に含んだ。
甘くて、たまらなくおいしい!^^
チョコレートって、こんなにおいしかったかな?って感じるほど。

すると「クスクス」笑い声が。
Wさんでした。

私のチョコを食べる姿が、相当面白かったらしい^^;

W:「そんなにおいしかったの?凄く幸せそうな顔してたから!^^」
慌てて、もう1つあったチョコをWさんに差し出すと、
雨が降らない場所なのに、何か私の上からこぼれ落ちた。

チョコを取ろうと、かかんだWさんから鼻血が・・・

彼は必死で鼻血をぬぐった。
たいしたことないのに、その動揺はすぐに分かった。

彼は、この鼻血の意味を知っている・・・
病状が進行していることを、認識したのだと思った。

Wさんがお気に入りだった、この屋上と外来ロビー自販機前のスペースは、
この瞬間から遠い場所となってしまった。

慌てることもなく、止血をして落ち着いたところで部屋へ移動。

その途中、Wさんは私の背中を大きな体でそっと抱きしめた。
驚いた。本当に驚いた!!
私のこめかみに、彼のほっぺがギュってして、彼の鼓動が感じ取れる。
その鼓動はドキドキなんてしていなかった。

どうしていいのか分からなかった。
こんな時に改めて、自分の体の小ささと、Wさんの身長の高さを感じた。

彼は「大丈夫。頑張る」と一言。
そして、グッと強く抱きしめられた。

私は、彼の腕を掴んで
「そうだね!Wさんがその気合なら大丈夫。一緒に頑張りましょう!」といった。
どのくらいの時間だったんだろう。
今まで、こんなことなかったし、もちろんされたことなんてない。
でも、嫌ではなかった自分がいて、そんな自分がとても嫌だった。

私の声は雨の音で聞こえなかったかも知れない。

先ほど早々、彼の部屋にクリーンルームの準備がされた。

これから彼の病室に行って、今夜は彼に付き添おうと思います。

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2007年6月 2日 (土)

戦士と戦場

6月に入った。

毎日、私はどのくらい寝ているんだろう?

この10日間で一番長い連続睡眠は約4時間。
それが3回あったかな?

後は、本当に仮眠だけ。

大変だけど、辛いとは思わない。
だって、ここは戦場なのだから。

生死をかけた戦士達がいる戦場。

私より辛い人たちばかりの中で「辛い」なんて言っていたら、何も出来ない。
そして、私の中に「後悔」の2文字がずっと残ってしまうと思う。

みんな、「今日」と言う日を、精一杯生きている。

「生きてるだけで丸儲け!」よく言ったものだ。

辛いけど、諦めないでがんばれ!

だって、明日「完治する」治療方法が見つかるかも知れないのだから!

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2007年5月30日 (水)

気が付けば・・・

すっかり、暖かい季節となりました。

夜、外に出るとまだ肌寒く感じることもあるけれど、
そもそも、着ている物の素材や量が違う。

何も分からないまま韓国に来たけれど、みんなの協力があって
何とか今日に至ります。

私がここへ来て、もう2ヶ月。

そして、私の韓国語も少しは上達してきたのかな?!

韓国は世界で一番就業時間が長い国になるんだそうです。

ちなみに、私の業務は根本的に就業時間が決められなくなっていた。

この2ヶ月でナースシューズが1足つぶれた。

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2007年5月18日 (金)

輸血

世界中の医療で一番必要なものは、
「安全な血液」。

特に治療で使用される内容の5割が「癌(ガン)」にあてられている。

冬になると、献血数が減り、血液が不足することが多い。

この病院でも、全般的に血液ストック量が減ってきている。
そのため、輸血が受けられず苦しい闘病生活を送っている人も少なくない。

その中で、「注射」に恐怖を感じる子供はとても多い。
もちろん大人だって、嫌がる人は結構多い(笑)
強面の男性が、注射針に異常にビビッている姿は、
かわいらしくて、実は癒されることも有る^^

泣き喚きながら、輸血を嫌がる子。
大粒の涙が、澄んだ瞳からボロボロと、無常にも流れ落ちる。

まる:「涙って何で出来てるか知ってる?」と泣き叫ぶ子に話しかける。
一瞬、私を見て確認すると、また泣き出す。
それなら、こちらもお構いなし!
まる:「今、ここで注射して血を入れてるでしょ!これが体の中を通って、この涙になっているんだよ!」
また少年は「えっ???!」って顔をして、一瞬泣き止むが、
腕の注射管の赤い血液の色と、涙の色が違うことで、
また「嘘だ~~」といわんばかりに泣き喚く。
まる:「嘘だと思ってるんでしょ!、私もそう思ってたんだけどね。でも、本当なんだよ!なのに、泣きながら輸血したら、もったいないと思わない?!泣いた分だけ、輸血が増えるのかも知れないよね!」と言い、その場を離れてしばらくすると、泣き止んで、じっと我慢の子。

やっぱり、根本は注射が嫌なんだよね。
でも、激しく泣いていた手前、急に泣き止むことも出来ない子(笑)

この素直さと、いじらしさが超→カワユイ!!^^v

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2007年5月14日 (月)

幸せの薬

今日は11歳の女の子が天に召された。
とても面倒見の良い、院内ではお姉さん的存在だった。

彼女には、弟と妹が居て、
学校が終わると、毎日のようにお見舞いに来ていました。
化学療法を開始することが決まると、
長かった髪の毛を、
自分の意思で短く切りそろえたのだそうです。

手術を終えてから、しばらくして退院をしていたそうですが、
たった4ヶ月で再発が確認され、また病院に来ました。

彼女は11歳ながら、自らの命がもう長くないことを知っていました。

「まるこ先生、死んだら、私が今思っていることや考えているこの「気持ち」はどこに行ってしまうと思う?」
彼女はとても穏やかに質問をした。

「眠っている時はどう?目が覚めるまで何も分からないでしょ!?
目が覚めるから、眠っていたことに気が付く。だから、次に目が覚めるまで眠るだけ。次に目が覚めるときは病気も治っているし、何も心配することは無いから、ゆっくり休めばいいだけだよ。」
私はそう答えてみた。

私も含めて、最期はみんな「死」に必ず直面する。
彼女には、おとぎ話のような夢話は必要ないと思って、
女同士の話をしてみた。
女の子は、男の子と比べると、現実的で大人なんだと感じた。
年下の兄妹が居た彼女は、特に周りの同級生よりも
早く大人にならざるおえなかったのだろう。

「先生、涙は『幸せになる薬』って知ってる?だから手術のときも泣かないで頑張った。体中が痛くて仕方が無くて涙がこぼれても、その涙を飲み込んで頑張ったよ。私は涙を沢山飲んだから、幸せになれるんだよね?!」

私は彼女の身体をさすりながら、褒めた。
褒めると、彼女から笑みがこぼれた。
お姉ちゃんとして、いつも彼女は兄妹の手本となり「痛い」「辛い」の言葉で両親に甘えることができなかったのだろう・・・。

彼女は「死にたくない、まだ死にたくない。みんなと離れたくない」と言った。
その言葉が、最期だった。
私の命と引き換えてあげられるものなら、いくらでも代わってあげたいと思った。

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2007年4月 1日 (日)

満潮・干潮と命の関係

ここへ来て思ったこと。

潮の満ち引きで人の命が終わることが多い。

もちろんその逆で、新しい命が産まれることも多い。

だから、ここでは15日にごとに出勤人数も調整されている。

今まで単純に綺麗だと思っていた月が、
「綺麗」と言うだけの意味で見られなくなってきている自分がいる。

月を見て、「次は誰なんだろう?」と思ってしまう私。

毎日、悔いの無い日にしていきたい。

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2007年3月28日 (水)

300mの大冒険と寄宿舎

言葉の壁を、思ったほど感じていないのは私だけだろうか?

仕事が終わって院の目の前に用意してもらった寄宿舎に戻った。

荷物は極端に少ない。

テレビは衛星も見られるので、日本の番組も見ることができる。

21:30。院内内線の携帯(電話)が鳴った。
内容は、7歳の女の子がいなくなったと言う。

慌てて院に行こう外へ出ると、寄宿舎の入り口に子供が。
私を探して出てきてしまったそうだ。

言葉もまともに通じない私を探して、彼女は約300mの大冒険をしてきた。

これをきっかけに、寄宿舎はただの荷物置き場となった。

気が付けば、仮眠室が私の寝床に^^;

しかも今ではその一角が私の部屋のようになってきている。
が、他の先生方は何も言わず笑ってくれている。

おかげで私は今のところ全員のお別れに付き合うことができている。
また、会える日まで・・・

だから、私は泣かないで見送る。

その後、ボロボロになるまで泣くことはあってもね。

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2007年3月25日 (日)

お迎え日

今日もスタッフの出勤人数が多かった。

それと連動するかのように本日天国へ向かったのは4人。
まるで予知しているかのような人員調整。

一体何が起こっているというのだろうか・・・

今日も4人、全員しっかり見送ることができた。
そして、エンジェルセットでのケアも少し手馴れてきた。
そんな自分が複雑に感じる。

病室での感極まる気持ちは、少しだけ我慢できるようになった。
でも、こうして仕事が終わると、堰を切ったように泣き崩れてしまう。

人の死に慣れることなんてできるのだろうか?

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2007年3月20日 (火)

それぞれの思い

今年初旬に手術を受けたIさんが、4日前から合併症を起こし、無菌室に入って苦しんでいた。
Iさんは孤独に病気と闘っている。

これはあくまでも私のやり方なのだが、医師や看護師、家族にも心配かけると気を使ってしまう患者さんが居ることを察し、辛さや痛みを我慢させないためのケアを行っている。

「手当て」「痛い、痛いの飛んで行け!」などの言葉があるが、
人の「気」と言うものは、プラスにもマイナスにも無限の力を発することがある。

「元気」「病気」「無気力」「気合」「気分」「気持ち」・・・

体中の痛みを察して、Iさんの身体をさする。
「早く良くなれ!」って気持ちをこめて、優しく愛おしくさする。
ご家族が到着したらバトンタッチ。

Iさんには結婚間近の娘さんが居る。
娘さんから「お父さんには大変だけど式まで頑張って欲しい」と。
その後、続けて「式まで頑張ったら、今度は孫の顔を見るまで頑張って欲しい。目標があったら、きっと頑張れると思うから」と。

Iさんは、体調を崩したとき「娘との約束が守れそうに無い」と病室で涙を流した。
みんなのそれぞれの思いを知っている私はとても複雑だった。
嘔吐を繰り返していても、身内がお見舞いに来ると何も無かったように元気に振舞うIさん。

そしてIさんは、日の出と共に一筋の涙を流して、天国へ行った。

以前、私の父が、
「死んだらね、帰って来れないんだよ。どんなにみんな(家族)のことが心配でも、絶対に帰って来られない。困ったときだけでもとか『どうしても!』ってときに帰れるなら、いくら死んでも問題ないんだけどね」
と、言ったことがある。
Iさんもそんな思いだったのだろうか・・・

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2007年3月16日 (金)

仲良し

仕事を始めて半月。

まだまだ慣れない事が多いけど、
私なりに頑張ってやっている。

医局のスタッフとはだいぶコミュニケーションが取れてきたが、
まだまだ自分の居場所ではない気持ち。
私がそんな事ではいけないのは本当によく分かっている。
もっと言葉を勉強しないといけないかな?!

そんな中、日本人の「Kちゃん」とは本当に仲良しになった。
彼女は一人で頼る人もいない中、ここでもう5年も仕事をしている。
本当に偉い。
彼女が韓国に来たきっかけは、ご主人が韓国の方で、日本に留学で来ていて知り合って、結婚を期にこちらに来たという。

今は「Kちゃん」が一番の頼りだ。
そして、もう一人・・・
私が韓国に来るきっかけとなった「Wさん」。
初対面はかなり緊張した私(苦笑)
毎日顔を会わすが、初対面のときほどの緊張は無くなった。
それは病院に着いて、病衣を着て、家族(=患者)としてのWさんを見たとき、私の中で彼が病気であることを認識した。
それからは、私の中でWさんは緊張する対象外となった。

今は毎日気さくに声を掛ける。
Wさんは、Kちゃんに続く2番目の仲良しさんとなった。

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2007年3月15日 (木)

毎日コツコツと・・・

仕事を始めて半月。
私は毎日必ず、全部の部屋を回って歩く。
「アニョハセヨ~~っ♪  (o゚∀゚o)♪」と大きな声で挨拶をする。

必ず、一人ひとりの顔を見ることから始めている。
眠そうであったら、『前の晩眠れていなかったのか?それはどうしてか?』とか、機嫌が悪そうだったら『いつから機嫌が悪くて、原因は一体何なのか?』とか・・・。
そんな些細なことをきっかけに、話をする機会を作る。
「○○さん、今朝とっても眠そうだったように見えたけど、眠れたの?』と。

いきなり改まって問診したって、相手はドン引き。
構えてしまって話しにならない。
でも、何気に話しかければ、「見ていてくれて、気にしてくれたんだ」と感じ、何の迷いも抵抗も無く対応してくれる。

話すきっかけがつかめたら、もう問題は無い。
毎日、必ず声を掛ければいいだけ。
学校で、隣の席の人に話しかけることや、同じ職場の仲間と話すことと変わらない会話がそこに生まれる。
何気ない会話から、ジョーダンや本音が出てくるまで会話をすればいい。

全員とその状況になるまでには、まだ時間がかかるが、頑張っていこうと思う。
だって、ここに居る人たちは、私の大切な新しい家族なのだから!

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2007年3月10日 (土)

初めての別れ

今日は朝から医局のスタッフの数がいつもより多い。

だから、なんだかゴタゴタしている。
でも、特に忙しくも無いのに・・・
のんびり新聞を読んでいる先生もいる。

変な一日の始まり。

すると、「Kちゃん」が『今日は忙しくなると思うから覚悟していたほうがいいと思うよ』と。

そして今日は、2人の方が亡くなった。
結局スタッフの数は、計算されていたかのような具合だった。

私は始めて「エンジェルセット」なるものを手にした。
体を綺麗に清め、天国へ行くための準備をしてあげる。

エンジェルセットの使用を、私は志願した。
体を拭くのにもちゃんと手順があり、その手順には意味がある。
私は教えてもらいながら、まだ暖かい身体を拭いていく。

身体を拭きながら、この家族の今日までを思い出していた。
涙が溢れてきた時、
『泣いたら駄目。これから天国に行くのにそんな悲しい顔したら、天国に行けなくなってしまうでしょ!?笑って送ってあげないと・・・」
看護師長からの言葉だった。

髪を整え、着替えも済み、改めて身内を室内に呼んだ。
泣き崩れる身内の姿や泣き声に、私の心はとても乱れた。

先ほどまで話をしていた人が、もう二度と動かなくなってしまう。
身体はここにあるのに、もう「人」の領域ではなくなる。
生きる者のの「生と死」。

今日、私はこの二人の最期を見送ることとなった。
不思議なことに二人とも、最期はとても穏やかだった。
お別れの言葉は、「ありがとう」だった。
そして眠るような最期でした。

私はこれから、このどうしようもない気持ちに絶えることができるのか?

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2007年3月 9日 (金)

何とか!

あっという間の一週間。

でも、日本の医療体制と違って、看護師や医師不足と言うような光景は遭遇していない。

日本は、診察を受けるまでに何時間も待ったり、看護師不足だったりして、友人の看護師も「休みもなかなか取れなくて、大変」とこぼしていたことがある。
それはとっても「やりがい」のある仕事だと誰もが感じると思っている。
しかし、人間には限界と言うものがある。
度を越えては、それは「やりがい」ではなくなると感じている。
そんな日本の医療現場と比べると、ここは安全地帯なのだろう。

今日私はお休みだったので、日本人向けの本屋へ出かけた。
購入したのは「折り紙」の本。

子供達との交流時に使ってみようと思う。

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2007年3月 1日 (木)

はじめまして

初出勤は日勤からスタートとなった。

私の配属は癌(ガン)病棟と言うとわかりやすいかな。
そこの専属カウンセラーとして勤務することになった。

前日に予習、直前は復習して、
「チョウム ベプケッスムニダ。
チョヌン まるこイムニダ。
ヨロブンテッソ、マンナソキポヨ。
チャルプタクトゥリムニダ。
(はじめまして。私はまるこです。
皆さんに会えて嬉しいです。
宜しくお願いします。)」と挨拶をした。

そしてスタッフの皆さんに、カルテを見ながら、患者さんのいる病室を案内してもらった。

その後カンファレンスと言われる打ち合わせがありました。
私はここで、1つの方針を発言した。
「私は皆さんと違って、医師ではありません。
なので、私自身は「患者さん」または「クランケ」と言う表現は致しません。
私は「家族」と言う表現をしますので、ご了承ください。」と伝えてもらった。

今日は成人部屋と子供部屋をそれぞれ各2時間ほど見て回り、個人のカルテチェックを念入りにしていった。

3月、まだまだ寒い。
院の目の前にある寄宿舎に戻る一瞬がとても寒い。
食事は、食堂が完備されているので、そこで済ますことができるからとても楽だ。でもやっぱり日本食とは違うので、食べ飽きてしまいそうな予感もあり、めげる・・・_| ̄|○

まぁ、もう始まってしまったのだからやるしかない。
と、余りにも殺風景な部屋で一人気合を入れる私。

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2007年2月28日 (水)

旅立ち

本日、私は日本を離れた。
一体どんな生活が待っているのだろう・・・

とっても不安な道中・・・。

カウンセラーとして復帰するのは7年ぶり。
私自身が一番「大丈夫なのかぁ(´・ω・`) ?!」と心配。

今年から大殺界_| ̄|○
「乗ってる飛行機、落ちるんちゃうの!??」とか思いながら、
隣を見ると、とっても素敵な男性が・・・。
この方が、知人が紹介してくれた、ホームステイ先の息子の「Wさん」。
ため息が出るほどカッコいい~~。
それに、とっても優しいのです~~( ´ー`)

でも、本当に病気なのかと思うほど、見た目では分からない。
身長184センチ、一体何頭身?と思うほど顔が小さくて、スタイルがとってもよく、バランスのいい筋肉質のようだ。
甘いマスク(顔)にヤラレました( ´~`)
何だか、訳も分からず胸がドキドキしてしまって、私らしくありません。

会話は、私が全く韓国語が分からないので目が合えば、ニコニコしてるだけ。
でも、結構鼻息荒いと思うし、その顔はきっと、まさに「ちびまるこちゃん」の顔面に縦線が入っている撃沈状態の引きつった笑顔になっていたと思う。

「Wさん」はとっても落ち着いていたので、年上かと思いましたが、私と同じ歳の独身でした。
こんな素敵な男性のそばで、150センチのブッ細工なオバちゃんがいることが、どれだけ不思議な情景か・・・凹
周りはどう思っているんだろう???
まぁ、最低限「Wさん」の立場を考えて、恥ずかしくない行動をしようと、心がけています。

それにも関わらず、私は機内でも、現地に到着してからも、「Wさん」に
『クェンチャナ(大丈夫)?』と何度声を掛けてもらったことか・・・(;´Д`)
これから迎える異国での新しい生活に不安はあるが、相当何かひどかったのだろう・・・。

空港を出た私を待っていたのは、記号のようなハングル文字の町並み。
何も気にせず歩いたら、顔は同じ日本人。
なのに言葉はさっぱり通じない。
やっぱり、ここは海外なのだ。
一路病院へ。
病院には、日本人スタッフ(看護師)の「Kさん」がいた。
私のSOSはすべて「Kさん」に託される!

私の荷物は、PCと少量の着替えが入った小さなコロ付きスーツケース1個だけ。
日用品は買い揃える予定でいたので、2~3泊の旅行程度の荷物だった。
PCがあれば、どうにでもなる。
それが私の心強い支えだ。

早速「Kさん」に買い物に一緒に付き合ってもらって出かけた。
物価は、私が予定していた金額と出費がさほどズレていなかったので、問題はないと思う。

買い物が終わって、また病院へ。
そこで白衣を頂いた。
緊張した。
明日から仕事がスタート。

医局長からは、
「あなたの好きなようにやってみて下さい」と言われた。
『お手並み拝見』と言うことなのだろう。
これで気合が入った。

その前に、納豆食べた~い(;´Д`)苦笑

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